なぜ特定の者の利益は公益でないのか
2008年11月25日

非営利法人総合研究所(公益総研)
主席研究員 福島 達也

 

公益目的事業になるかどうかの判断をする時に、一番先に出てくるのが不特定多数の者の利益かどうかということだ。
つまり、特定の者の利益などは、公益目的事業になるはずがないということからスタートしているのだ。

ここでいう特定の者とは、ある特定の団体を構成している、その特定の構成員の利益を図るような活動という意味であって、認定法第5条第4号のようにまさに特定の者だけの利益を図ってはいけないというのとは、全く異なると考えられている。

例えば、ある企業が奨学金の財団を作って、その企業の子弟に奨学金を配るということになると、これは特定の職域の団体の者の利益の増進ということになり、もちろん公益目的事業にはならない。

そのほか、A高校の学生や卒業生への奨学金というのも、やはり、それも特定の者ということになる。
そのA高校に入るのは誰でも頑張れば入れるのだから、決して特定ではないということを言う人がいる。しかし、実際に入っている人や卒業生を対象としているのであれば、そうでない人にとっては何の公益的な意味を持たないのだから、これは特定多数と言われてもしょうがないだろう。

では、区域が限定されている場合や利用者があまりにも少ないときは、問題はないだろうか。

これについては、ある区域の子弟に奨学金を出すという場合、地域は確かに限定されているが、厳密にいえば特定であっても、地域以外は不特定の要素の方が強く、これについては、おそらく不特定多数ということで問題になることはないだろう。

利用者の数については、その団体の規模にもよるが、予算の関係で都合がつかないとか、あまり有名でないとしたら、それ相応の人数になるのだから、それだけで不特定多数ではないということは言えないだろう。

また、特定少数の難病者を対象とした事業はどうだろうか?

その人たちの救済やそのための研究開発というのは、国民すべからくその病気になり得る可能性があると思えば、潜在的には不特定かつ多数ということになる。

そのほか、特定の国の特定の非常に恵まれない人たちを支援するというときに、潜在的に多くの人がその環境に置かれる可能性があるとすれば、たまたまそこで表面上は特定の人の支援であっても、潜在的にはそれは不特定多数の者の利益と言えるだろう。



つまり、「特定」というのは、閉じた活動になってはいけないというのが全体の趣旨であり、事業の対象がその法人の構成員だけにとどまっているような閉じた活動になってはいけないという意味で、例えて言えば、もっとオープンでなければいけないというぐらいの大ざっぱな感じで見ると、大体見分けがつくのではないだろうか。

共済事業は公益目的にならないと以前述べたが、共済事業が公益目的事業でないという理由はいろいろある。
そもそも共済事業というのは、保険業法の適用を受けるか受けないかという判断の時に、保険業法が「不特定多数の者を相手」にしていることを知って、共済側が「特定多数の者を相手」にしているということで、保険業法の適用から外れ、無認可共済が雨後のたけのこのごとくできたのだから、今更「不特定多数」であるとは口が裂けても言えないのだ。

つまり、共済は、会員になってからその事業に参加するから「特定」になるのだから、これを教訓として、とにかく、会員にならないと事業に参加できないというハードルを取っ払うことが、公益目的事業のスタートラインに立つ大事な条件なのだ。

財団にはあまり関係ないが、社団の場合、会費で成り立っている法人も多く、そういうところは特に、会員以外に事業を展開することは考えにくい。

しかし、そればかり主張していると公益目的ではないといわれてしまうのであれば、会員になるかならないかは別として、自分たちの目的や使命を達成するために、必要な事業手法は何であるかを考えてみてもよいだろう。

社団の不特定多数性ほど難しいものはない。公益認定を下す委員会の先生方は、果たして財団の公益性と社団の公益性を区別して考えることができるだろうか。
そうでないと、あまりにも社団に不利になる制度ではないだろうか?

不特定多数性以外にも、認定法の各号やチェックポイントなどを見ていると、社団にはハードルが高い項目が目白押しだ。

 このままいくと、財団法人が7割公益法人に残り、社団法人は7割一般法人に移行することにならないか、今からとっても心配だ。

その幕がいよいよ12月1日に開こうとしている。

公益総研株式会社 非営利法人総合研究所

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